こんにちは。ご無沙汰しております。
私たち(地球の整備士たち)は、主に放置山林の保全という名目で、県の助成を受けて活動しています。
もちろん、山林だけでなく地球全体の事柄に興味を持って活動しているわけですが、今回は私たちがなぜこのような活動をしているかを、稚拙ながら言葉にしていきたいと思います。
はじめは安易な考えから

ラジオでも少し話しましたが、元々は地主さんのご好意で放置山林を好きに使わせてもらっていた為、自分達だけの楽園だとか、プライベートキャンプ場にしようだとか、いかにも自分本位な考えで山に通っていました。
最初は知識が乏しく(今もですが)、とにかく草を刈り、地面がどんな形になっているのか、本当にテントが張れるのか、そればかり気にしていました。
ほとんどの週末を山で過ごしていた為、数ヶ月も経たないうちに地面が姿をあらわし、そこらの林間サイトと変わらない様な雰囲気になり、自分たちだけの遊び場が完成したわけです。
そんなある日、ひょんなことから衝撃を受けます。ただ楽しくてやっていた活動が、どうやら県の政策と偶然にも一致し、活動費の一部を負担して貰えることになりました。
私自身も当初は、
「自然保護って格好がいい。」
「自然に関わる活動がしたい。」
そんな背景もあり、どんどんのめり込む様になっていきました。
間違いに気づく
その頃の私は、様々な文献を漁り、専門家の知識を詰め込んで頭でっかちになっており、典型的な教科書人間になっていました。
この場所周辺は、かれこれ10年近く通っていました。
専門家の言葉だけを信じ、「これはこうだ!」と決めつけて整備していた時があったのですが、ある人の言葉がきっかけでとんでもない間違いに気づきました。
「生態系とゆうのは、その場所に存在している全ての物質が複雑に絡まりあって形成されている。」
つまり、その土地特有の気候、大気、水、土、生物(同じ種類でも遺伝子レベルで見れば違う)があるとゆうことです。
今思えば当たり前の事ですが、当時は恥ずかしながら全く頭にありませんでした。
自分の考えなんて元からなかったようなものだったので、そんな事実に対して、どうしたら良いのかが纏まらなくなり、言葉に出したり、考えることすら億劫になっていた時期もありました。
専門家を超える「地主」

「この世界でこの場所とゆうのはここしかない。」
おかしな日本語ですが、わかっていただけるでしょうか。
つまりその地点だけを熟知した専門家なんて存在しないのではないのか?
だったら、一般人の私がその場所に一番詳しい人間になれるのではないのか?
昔からその土地に住んでいる主(田舎のおじいちゃんおばあちゃん)は、敷地内であればどこに何があるのか、この時期にはここに何がいるのかよく知っています。
土地、気候、植生その他諸々を結びつけ、初めて降り立つ場所でもある程度の現状を理解できるとってもすごい専門家はいるとは思います。
しかし、私は今管理している山林のことを世界一理解しなければならない。
放置山林は林業家や専門家に任せるだけでいいのか?
林業を営んでいる方も、庭程度の山林は狭すぎて管理したがらないと聞きますし、専門家の方はそんなに多くいません。
私たちの様な一般人のボランティア的活動で、そのカバーができるのではないかとゆう可能性が今の活動の原動力になっています。
自然との向き合い方

私も含め、社会的に生きているほとんどの人間はおそらく、何かしらの形で自然を壊しながら(色んな意味で)生きていると思います。
しかし、人間が今日まで生きてこられたのも、自然のおかげであり、生物多様性のおかげなのです。
そんな自然の素晴らしさを肌で感じ、後世に残していけるような生き方をしたい。
私はただのサラリーマンであり、父であり、自然に関わる仕事に就いているわけではありません。
だからこそニュートラルな立場で、人間本位の居心地や利便性の良さに負けず、でも”楽しく”活動をし続けていきたいと思います。