キャンプでも
道具も服も気分の上がるもの、
カッコいいものをまとって
自然の中で過ごしたい。

そんなことを言って
日々もがいてる筆者だが、

なにをもってカッコいいのかは
キャンプにしろファッションにしろ、
全趣味永遠のテーマだ。

(カッコいいって単語、
若干サムいのでなんかいい表現ない?)

今回はそんな漠然としたテーマを掲げ、
僕なりの答えを探す、
久々の思考整理系記事。

それでは、
今回もよろしくお願いします。

カッコいいとは

最近は、本当に多くのキャンプ道具が
続々と世に出て、キリがないが、

キャンプ場を歩いていても
様々なサイトがそれぞれの
エッセンスを効かせていて、
非常に楽しいし、

近年の盛り上がりから見て
もはやそれらは
自己表現の域だとすらおもう。

だけど、そんな中思ったのは、
キャンプがカルチャーとして
定着してきた今、冒頭でも言ったけれど、

一体僕らは何をもって
カッコいいと判断するのだろう?
ということである。

今、当サイトが考える
理想的なカッコいいとは何かを
模索していきたい。

色んなカッコいい

@kitajima_hikaru

とはいうものの、
感覚を具現化するのはやっぱり難しくて、
個人が思うカッコいいの理由は色々。

周りが持ってないギアを持っているから?
流行りのギアを持っているから?
デザインが垢抜けてるから?

ざっとあげただけでも
考えると深みにはまっていきそうになる。

しかし、僕は上記の質問の答えは
全てノーだと思いたい。

もちろんそれでもカッコいいんだけど!
正確にはそれだけではある程度までの
かっこよさ。

“もっとカッコいい”
にはなり得ないと思っている。

付け焼き刃

理由は、それらの共通した特徴は、
モノだけのかっこよさだからだ。

何が言いたいかというと、
モノだけのカッコよさだけが
先行してなくて、
人間が使ってなじんで初めて
一番かっこいい状態なのではないか、

と私は考えている。

「人気で流行りのギアを手に入れた、
はい、俺かっこいい。」

当たり前だけど、
そんな話はあってはならない。

しかし、そんな付け焼き刃なかっこよさも
一定の人気があるようだ。
(買うだけでいいもんね。)

あとは所有した瞬間がピークで
消費感覚の人もまだまだ多い気がする。
(マーケット的には
大成功なんだろうけど、、)

ではどうすればいいのか?

(@yama_no_yoko_camp)

では、モノ主体の感覚に
陥ってしまわないためには、
どうすればいいんだろう?

先ほど人間が使ってなじんで初めて
一番かっこいい状態、
という表現をしたが、

通常このような調和は
一朝一夕では身につかない。

つまり、おびただしい数の
トライアンドエラーや物語が裏にはある。

しかし、その試行錯誤の結果や
人間味、使い手の糸云々が加わってこその
かっこよさであって、

道具や服は人間味があって
初めてカッコよく輝くと思う。

付け焼き刃なかっこよさよりも
僕はそんな遠回りな
かっこよさを目指したい。

全てが一体化したかっこよさへ

モノがイケてても、人が必ず
カッコよくならないように
モノがイケてなくても、ヒトによって
抜群にカッコよくなるのである。

僕はそんな使いたい道具だけが
そのまま無駄のないかっこよさに
つながっている人たちを何人も
知っているおかげで、

自分も日々勉強になっている笑。

(写真の @kitajima_hikaru
@yama_no_yoko_campくん)

カッコいい人が持っているものが
カッコよく見えるのは
少なくともそういう理由も
あるかもしれない。

モノ主体のカッコよさから
モノ、ヒト全てが
一体化したかっこよさへ。

正解のある世界

こんなことを言っていると
「お前はモノ主体になる瞬間はないのか」
と言われそうなので、
最後に僭越ながら私の話をしておく。

そう、まさに私自身が前述の
モノ主体の教科書人間だったのだ。

教科書通りの決められたことを覚え、
それを吐き出すことが優秀だと教えられ、

ただひたすらに反復し、
学生時代は、個性もなく皮肉にも
平均以上はできた方だった。

しかしそこは、
正解がある世界がゆえのやり方。
自分のオリジナリティは
一切求められない世界なのだ。

私はいつしかそんな考え方が
知らず知らずのうちに身につき、

これさえ買っておけば
確実にカッコいいという
正解に見える何かを
ひたすらに覚えていた。

そんな量産型で、特徴のない自分を
だんだん疑問視するようになり、

自分のフィルターを通して
正解がなく自由に自己表現することに
何よりカッコよさを感じていたのである。

最後に

スクロールバーの小ささを見て
うんざりした方も
ここまで読んでくださり、
ありがとうございます。笑

それだけ僕の伝えたいという
気持ちが伝われば幸いです。

キャンプというカルチャーは
十二分に肥沃だと思う。

何やってもいいし、
好きな道具を選んで自分で組み立てて
遊びも好きなことをする、

もしかしたらそんなキャンプの懐の深さに
自分のコンプレックスから逃げるように
ハマって行ったのかもしれない。

自由にやりたいことを完成させる
と言うことは、一種の充足感があり、
そこに教科書はない。

だからこその試行錯誤で、
あーでもないこーでもないで、着々と
自分好みのスタイルが出来上がっていく。

もがきながらめざす
かっこよさに終わりはない。
でもそれでいい。

キャンプのサイトを構築するのもそう。
着ていく服を構築するのもそう。
もちろん、この文字もそうなのだ。

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